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2017年3月15日 (水)

弥生 15日

弥生の春に・・・。

 

 今の問題は、前世紀にも度起きたことだ。じようなプロセスを経て、国家は悲劇的結末に陥った。191020年代の、「大正ルネッサンス」の崩壊と、90年代の「平成不況」は類したものだ。どちらの介も柔軟のな政府と教育が、自由と独創性の時代を圧した。二次世大戦の前に日本を軌道に転ずるう仕向たメカニズムは、ひたすら国力大だけを標にした制であった。

今回も同じである。

「日本のパラダイム」とは「強国・貧民をい、過去に、海のオブザバーはこれをうらやましく思い続けてきた。こパラダイムの美徳は国民が大きな犠牲うことにより、国家の経済力が増してくことでる、し、今こそこのパラダイム見直し、日木のコンクリわれた川、ゴミゴミした街、融界の振、ハローキティー」化れた文化ぽらしト、公園、そして病院などをることが必要だ。日本はいったいなぜこうなってしまったのと考える時、と生け花世界らひとつ答えが得られる。先日、ある道家に質問た。それはい間、気にかかってたことだった昔ながらの生け花と奇抜な今のそとのいは何のかビニールの使用、花と葉がホッチスで留められ、り曲げらるようマニュアで示さX度のなどをは変に思うが、る意でこれらはすべて伝統に由来するものなのだ。ではその決定的なとは。人の答えは、現代の生け花には「実がない」といものだた。伝統的な生け花には宗教上あいは儀という目的があった。昔の人々は自然神秘に尊敬の念をっていた。宇宙の創造力にあふれた息吹を見出し、応えるための手段として生け花を用いたのだしかし今それも失われ、単なるり物としての目的し持たず、植物や花そのものの本質を問うことはない代わりに、花は生手の気まれなニーズに応えるためだけに使われる、ビニールや針金などの材料と、ほとんど変わない「素材」としてわれてい要するに「実」もなければ精神的な目的もなく、自然が本来持つ力通ずるものも何もない、ただぽなザインなのだコメントは問題の核心をつくものあった。というのも、がないとうのは現代日のすべての事柄にも言える。土木工事(目的もなく進める)、建造物(周の環境とニーズに無係)教育歴史や方程式を暗記させヽ独自の創造力や分析力を教えない)街並み(古きを壊す)、株式市場配当を払わない)、不動産利潤を生まない≒大学就職までのつなぎ・会に貢献しなど、国際化六世界を締めす)、官僚制真のニズに関係ないところで金を使う)企業のランスシート(粉飾決算、環境省(環境保護に無頓着)薬品(テストされていない模倣薬)、情報(曖昧秘密、)空港(人間に適さず、大根には適す)―体系全体に「実」がないのだ本のものごとやり方と、現代生活との間には、内外を問わず予想をはるかに超えたギャップがあるとしか言いよがないだから、私は日本を近代化に失敗した例である申し上ている。手の込んだ「のモュメントはの重みに対する一種の防護壁なのだしかし、最後は「実が勝それでも地球は太陽の周を回るから。典的な近代化論」では、日本は西洋から入ってくる新しい発想をうまく取り入た国なっているが、ほんうはこらの発想と長きにわり苦い戦いを繰広げたのだ。30代とに、初期の大きな功が、時間が経つつれ惨劇に変わってしまうというーンを、今再びくりくりか初期段階では、日本はたしかに西洋の発想を上手に取入れ、独自方法でごとな果をおさめるつい最近まで世界中が日本の品質管理、製造、経済そンダイジングのニッ研究してたことを忘てはいけない。ししながら第二段に及ぶと操縦にギヤをり替え、その時新しい発想をれな。既存のシテムにってしう。方向を変られ人がいいから最後行き過ぎ、座礁てしまうのだ。の問題は立ち上りにくい、打開す道はあるそれ「実」を持つこだ。日本が立ち戻らなくてはならない「実」とは、かならずし西洋で見られる真実ではなかもしれない。日本独自の精神といったものでろう。本書の中でもくりかえしご覧いただいたが、昨今「本的」なものの典型として罷り通ってるものーえばの付かない金や失敗することのあり得ない会社―など、西や威勢の良い商人には考えつかなかっことだ。マニュア化された生け花は本来の花を完全に否定したものだ。仰々建築繊細な美意識とった伝統への屈辱でコニコグッズは、能。俳句、石庭など、洗練さた大の文化から見れば情けな終演だ。土木工事の狂乱が大昔から尊んできた聖なる土そのものを壊してる。「実との戦いの結末、日本文で最大事なのを引き裂き、そして消滅させる結果となってしまった。日本が本来の姿からか離れたこと―それが日本人が憂えていることだ。過去の世紀に、日本の課題は鎖国から脱却し、世界で活躍することだった。それにみごと成功し最も力のある国になった。しかし、この成功はその裏に途方なく大きい代償を伴ったものであった。

日本は日本でなくなった。

家路を探し求めるーこれが今世紀の課題だ。

アレックス・カー 著書 「犬と鬼」 結論から抜粋

 

 

 

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